2017年8月7日月曜日

みたび許すまじ

安心な生活は先ず平和からという事で、今年は連合からの要請で全国から来られる連合傘下の組合員さん達を平和公園内の案内をする役を仰せつかった。
















総勢550人を16班に分け、松剣達32人の引率組が2人1組で11の慰霊碑や慰霊塔などを案内する。












コースの内8ヶ所にはあらかじめ4〜5人の説明者が待機していて引率者が連れて行くと説明をしてくれる事になっているが、残りの3ヶ所は引率者が説明者となる。







イヤだな・・・人前で何か説明するの苦手なんだよね・・・と思っていたらペアを組んだ電機連合のUさんが説明してくれる事になった。助かったぁ〜。







それにしても暑い。でも72年前ここで起こった惨劇はこんなもんじゃなかっただろうと想像する。水を求めて多くの方が亡くなった事を思えばこれくらい我慢、我慢。








1時間ちょっとで無事に終了。少し休憩した後、今度は場所を移動して平和集会に参加。















この集会の最後には『原爆を許すまじ』をみんなで合唱し、再び平和公園へ戻り水を求めて亡くなった方々の御霊に各連合の土地から持参した水を捧げ一人ずつ白菊を献花。














8月6日を明日に控えたこの日も祈りを捧げる人達でいっぱいだ。









連合の仲間はキャラバン隊として7日に広島を出立し、9日の長崎を目指す。核兵器がこの世から完全になくなる事を願って・・・










そして今年も平和の有り難さを噛み締め灯籠流しに参加。







 
 
 
 

まりもや歴代ワン子達、そして若くしてこの世を去ったYやM美の事を想いながら灯籠を流していて、86才の原爆の語り部、Kさんの話を思い出した。







被爆当時15才だったKさんは港近くの学校に通う女学生だったが、学徒動員で専売公社のたばこ工場に勤務し、港から出征される兵隊さんを見送る毎日だったそうだ。きっとこの見送られる兵隊さんの中には相方のおじいちゃんも居たはずだ。







相方のおばあちゃんは、幼かった相方の伯母さんの手を引き、二歳にもならない相方のお母さんを抱いてこの港で出征するおじいちゃんを見送ったのが今生の別れとなった。そしてこの兵隊さん達に混じって船に乗せられる馬や犬も数え切れないほど居たらしい。









動物が大好きだったKさんは、船に乗せられ自分の運命を悟ったかのようにいななく馬の鳴き声や、軍用犬として連れて行かれる犬達の哀しい目が忘れられないと仰った。犬の多くはシェパードで、主に伝令や危険な個所で先頭に行かされる役目だったと言う。









しかし、あれだけ盛大に見送った兵隊さん達だったが、終戦後は皆ひっそりと帰国して来られたそうだ。その事を気の毒に思ったKさんは、友人達とボロボロに疲れ切って港に降り立つ兵隊さん達にお茶を振る舞う活動を始められたそうだが、馬も犬もただの一匹も戻っては来なかったと言う。








あの子達は一体どうなったのだろうか・・・彼の地で屍となり、或いは食用にされたかもしれないと思うと悲しくて悔しくて仕方がなかったそうだ。








そんな子達を思えばまりもは幸せだったよね。短い犬生だったかもしれないけれど、平和の中で楽しく暮らせたもんね・・・















原爆で、戦争で犠牲になった多くの人々、そしてワン子をはじめ人間の勝手で犠牲になった多くの動物達。どうぞ安らかに・・・
















今年は原爆死没者慰霊碑ではなく、昨日松剣が献花した場所に行きたいと相方が言った。松剣昨日までここにこんな碑があるなんて知らなかった。相方も初めて見たらしい。











 

 

広島、長崎に続く犠牲は断じて許すまじ。この物言わぬ原爆ドームの存在は大きい。






 






 

 

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