2016年10月18日火曜日

ありがとう、 M美

気丈だったM美。病院の先生は、痛みは相当だった筈だけどM美さん程我慢強い人は見た事がないし、自身の病気について相当勉強していたから、治療に関しては全くごまかしが効かなかった。こんなに凄い患者さんも初めてだった、と語ったそうだ。





こんなM美だから最期まで気丈で強くありたかったのだろう。もしもの時に伝えて欲しい人の名をパパや家族に伝え、葬儀は極々限られた人だけで行って欲しいと言い遺していた。





色白でとっても美人なM美。沢山の綺麗な花に囲まれた遺影は、いつ頃撮影したのかわからないけれど本人が選んだという、少し若い頃の写真だった。セミロングでちょっと恥ずかしそうに微笑む顔はいつもと違って大人しそうでしとやかに見えた。本当に逝ってしまったのだろうか・・・Yの時同様信じられなかった。





通夜も葬儀もM美の遺言通り粛々と執り行なわれた。誰からも好かれ面倒見が良く、特に後輩からの信頼は絶大だったM美。遺言が無ければ少々の葬儀会場では入りきらないくらいの参列者があったはずだ。





葬儀の後、パパや家族にお願いしてSちゃんと一緒にお骨も拾わせて頂ける事になった。最後のお別れの時、悔しい・・・松剣がそう呟くと隣でM子さんも頷きながら、悔しいね、本当に悔しいよと一緒に泣いた。





自分の事より人の事を一番に心配し、いつも人の為に奔走していたM美。ゆっくり休んで欲しい・・・しかしそっちにはお騒がせなYが居るんだ。そうゆっくりもしていられないかな。





パパは、M美が先に逝ったとしても後を追って自ら命を絶つ様な事はしないれけど、健康に気を付けたり自分を大事にする意味は無いんじゃないかと思っていたと言う。でもそれは間違っていた、と・・・





あと何年この世で生かされるかわからないけど、自分なりに精一杯生きてあの世でM美に会った時、ポリポリと頭を掻けるくらいの人生にはしたいと思うと、涙をグッとこらえて語ってくれた。




きっと大丈夫。M美が見守ってくれるから。




最後に病院で話をした時パパがM美に、もしもM美が先に逝ったら居酒屋ゆうれいみたいに毎日化けて出てくれたらええのにと言った。しかしM美は、そんな未練たらしい事はしゃ〜せんわ〜。さっさといい人見つけて再婚してくれた方が安心よ。でもつまらん女だったら化けて出るからねと、笑って言った。





人の悲しみや喜びにいつも心の底から寄り添ってくれたM美。強く気丈で頭の回転も速く頼り甲斐があったM美・・・闘病中も何も出来る事はなかったし、何の力にもなってあげられなかった。結局何の恩返しも出来ないまま逝ってしまったね・・・




もう一度Sちゃんと相方と女子会がしたいと最後まで言っていたし、孫の顔だって見たかっただろう。Yのお墓参りもしたいと言っていたっけ。それに娘同様に可愛がっていたヨーキーのチャチャ、プードルのレナの事も・・・




心残りだった事も沢山あっただろうが、良くない体調の中で自身の遺品となる物をきちんと整理して旅立っていたとパパから聞き、最後の最後まで本当にM美らしいと思った。




可愛がっていたキャミやミニには会えたかな?M美の事が大好きだったまりもにも会えたのだろうか。松剣か相方のどちらかがそっちに行くまでどうか面倒を見てやって欲しい。




これまで本当にありがとう。親友でいてくれてありがとう。そしてこれからも永遠に・・・




また会える日まで、どうか安らかに。




合掌

 

2016年10月17日月曜日

頑張ったM美

寛解から僅か3ヶ月。2015年が始まって間も無い頃、がんが再発した。あまりのショックに相方は泣いた。辛い抗がん剤に耐えたのに・・・手術も何回したんだっけ・・・あんなに頑張ったのにと涙を流した。





気丈なM子さんも出来る事なら代わってやりたい。痛かろう、辛かろうとM美に隠れて涙を流していたとパパから聞いた。・・・やるせなかった。





しかしM美は、泣いてなんかいられない、生きなきゃ。自分の為だけじゃなく、家族や友達の為に生きるんだ。そう決意したものの、再び抗がん剤での治療が始まる。堪えられるだろうか、あの苦しみに・・・





昨年だったか、相方が友人達と船で釣りに行く機会があり、みんなで食べる弁当やサンドイッチなど準備してとても楽しみに出掛けて行ったのだが、乗って10分もしない内にひどい船酔いに見舞われた。釣りはおろか何一つ食べる事さえ出来なかった、という事があった。





あぁM美は毎回副作用でこんな辛い思いをしているんだ・・・船酔いなら下船すれば治るけど抗がん剤の副作用は1〜2週間く。こんな吐き気が1週間も2週間も続くなんて・・・そしてやっと楽になった頃、また次の抗がん剤を投与するんだ・・・軽々しく頑張ってなんて言えないと思ったと、涙ながらに語った。





何もかもどうでもよくなってしまい、思考能力さえ奪うと言う副作用の辛さ・・・辛さと効果が比例するわけでもなく、人間らしい生活もままならなくなる。そしてそれに耐えたところで完治の保証があるわけでもない。迷いに迷って県外での代替治療を選択した。





まりもと遠くの病院に通った日々を相方と思い出した。あれはあれでとても楽しかったから、パパの運転する愛車プリウスでの通院はちょっとしたドライブで、M美の毒舌にやり込められながらもパパにとっては楽しい時間だろうと思った。





とにかくなんでも良いから効いてくれ!お願いだから!!何度も何度も祈ったけれど劇的に良くなる事はなく、一進一退を繰り返した。少し体調の良い時期はみんなで食事をしたりBBQをする事もあったが、明らかにその回数は減っていた。





そして今年のゴールデンウィークには苦しめられていた肝臓の手術をした。完治に向けたものではなく、姑息手段ではあるが2〜3ヶ月は痛みから解放されると言う手術だった。





手術は成功し、6月には仲良し3人で女子会ならぬ婦人会で盛り上がったのだ。お洒落なイタリアンのお店でM美は出された物を全て平らげ、調子が良いんよと、本当に楽しそうだったと言う。これがM美とSちゃんの今生の別れとなるとは思いもしなかった。





医者の言う通り調子が良いのは僅かの期間だった。再び体調を崩したM美。籍を入れたJの結婚式もしてやりたい。また女子会で楽しいひと時を過ごしたい・・・そんな一心でもう一度同じ手術に踏み切ったのだが、体調は良くならないまま一時退院した。11月の誕生日が迎えられるかどうか・・・非常に厳しい2回目の余命宣告だった。





再び入院したM美だったが、パパから退院するからお見舞いに来てやってくれないか、多分これが最後になると思うからと言う電話で相方と慌てて会いに行ったのが10月1日の事だった。




本人には余命は伝えていないから・・・パパからそう聞かされ、いつも通り平静を装いM美に会った。久々に会ったM美は痩せていて、これまでで一番辛そうに横になっていた。それでもこの方が楽だからとベッドに身を起こし久々に色々な話をした。




一度退院して家に帰るけど、今度入院する時は緩和ケア病棟に入るつもりなんよ。何時に起きて何時に寝てなんて決まりも無くてね、泊まるのは無理だけどワン子も連れて来て良いんよ、と辛い表情も見せず語ってくれた。





1時間ちょっと話をしただろうか。疲れちゃいけないから今日はこれで帰るから。今度は家の方に会いに来くよ。調子が良さそうな時、連絡待っているから。





結局これが最後になった。自宅に帰った翌日には、意識は結構はっきりしていたけれどいつ心臓が止まってもおかしくないという状態に陥り、東京からJも帰郷していた。





そして10月5日の朝、お母さんが側で見守りながらJが手を握り体勢を変えようとした時、ふっと呼吸が止まりM美はその生涯を閉じた。痛がる事も苦しむ事もなく穏やかに眠るような最期だったと言う。

 

2016年10月16日日曜日

M美との出会い

M美と相方とSちゃん、仲良し3人の出会いは高校入学までさかのぼる。出身中学はそれぞれ別だったが、一年生で3人は同じクラスになり、M美と相方は三年生でも再び同じクラスで青春時代を謳歌したのだった。




そして相方が卒業式を終えた日、今日は仲良し数人がM美の家へ泊りに行く事になっているから松剣車で送ってよと言われ、相方と一緒にM美の家を訪れたのが松剣とM美の最初の出会いだった。




田舎の高校で剣道部だった松剣。片や街中の女子校でとても目立つ部類のグループだったM美達。どう考えても接点などあるはずも無い。




第一印象は強烈だった。とても自分より年下とは思えない程しっかりしていて、ダッサい松剣をごく自然に受け入れてくれ、姉御肌な人だと思った。




無口で話下手な松剣、初めて会った人と楽しく会話なんて出来やしないはずなのに、話上手なM美との会話は退屈する事も戸惑う事も一切無く、まるでずっと前から知り合いだったっけ?と思わせる程気さくで、自然に話が弾んだ事を覚えている。




社会人になってからはSちゃんとの交流が一時期途絶えた事もあったが、M美と相方の友情は相変わらず続き、松剣も一緒に頻繁に会うようになった。M美に一人息子のJが誕生してからも一緒に動物園や海水浴に出掛け、Yが加わる事も度々あった。





M美と相方は仲が良いだけではなく背格好も良く似ていて、買ったけど殆ど着なかった服をM美からもらう事もしょっちゅうだったし、見た目だけでは無くオブラートに包まない物の言い方、性格や考え方もお互いが認め合う程似ていた。前世では双子の姉妹だったんじゃないかと思う程だった。





そして四角四面で融通が利かない不器用なパパと松剣。故にイラッとさせるポイントもだいたい同じ。いつもそれぞれがやり込められた話で盛り上がり、お互いに辛いとこですなと、慰め合うのが常だった。




病気が発覚してからも気丈なM美の毒舌は健在で、まるで夫婦漫才のようなパパとの掛け合いはいつも笑いに包まれていた。笑えば免疫力もアップするからと弱音を吐く事など一度も無く、病気と向き合い闘い続けたのだが、頑固ながん細胞は容赦無く執拗にM美を襲った。

 

2016年10月15日土曜日

親友M美の闘病

ベッドに横たわるM美の顔はとても穏やかで安らかだった。痛みと苦しみから解放され、これでやっとゆっくり眠れるんだ・・・ベッドにすがりつく様に泣きじゃくる相方を見ると涙を止める事は出来なかった。





10月5日午前7時過ぎ、相方の大親友でこのブログにも『ワンコ大好き◯美さん』のハンドルネームで頻繁にコメントをくれていたM美が天国へと旅立った。大腸がんで闘病中だった。





物心つく前に父親を亡くし、女手一つで育てられたM美。お母さんのM子さんは自身の名を付けたスナックを切り盛りしながらM美と5歳年上のお兄さんを育て上げた。




数年前、会社の経営者でもある お兄さんが介護の仕事にも参入する事になり、M美はお兄さんの意により介護福祉士の資格を得る為、2年間専門学校に通う事になった。




随分年の離れた若者達と机を並べ、遠足などの学校行事にもきちんと参加し、こんなに一生懸命勉強したのは生まれて初めてよと、本当に楽しそうに学校に通い2年後、晴れて介護福祉士の資格を取得したのだった。




専門学校卒業とほぼ同時にお兄さんが経営する介護施設を任される事になり、お店を畳んだM子さんと共に事業を軌道に乗せようと、喧嘩をしながらも懸命に仕事に打ち込んでいたのだ。




そんなM美に病魔は忍び寄る。長く続く血便と異常なだるさ・・・何か変だけど疲れが溜まっているのかな・・・忙しさで病院を訪れる機会を逸していた。




この頃だった。Yに食道がんが見つかったのは・・・まりもとの闘病生活がそろそろ1年になる11月、知らせを聞いたM美は不安になり、ようやく病院に行く決意をしたものの、実際に検査を受けたのは年末近くになってからだった。




そして魔の2014年正月。明けてすぐまりもの悪性リンパ腫が再燃。そしてM美の検査結果は大腸がんで既に肝臓に転移しているという厳しいものだった。なんで・・・まりもとYに続いてM美まで・・・信じられなかった。




肝臓のがんは大小散らばるように数個あり手術は難しく、このままだと余命は2年との宣告だった。しかし抗がん剤で小さくすれば手術が出来るかもしれない。一縷の望みを掛け、辛く苦しい抗がん剤での治療を始めたものの、その辛さは想像を絶するものだったのだ。




女手一つでここまで育ててくれたお母さんより先に逝くわけにはいかない。一人息子Jの結婚も孫の顔も見なければ・・・そして旦那さんであるパパを一人にさせる訳にもいくまい・・・




そんな思いで懸命に抗がん剤の副作用に耐えて頑張っていた6月、まりもが逝った。自分の辛さよりまりもを思い、寂しくなった松剣と相方の事ばかり気に掛けてくれたM美・・・何とか良くなって欲しい。出来る事は何もないけれど、お守りを渡し、ただひたすらに神に祈った。




辛い治療に耐えた甲斐もあり、M美の大腸がんは手術ですっかり綺麗に取り切れた。一時期は人工肛門での生活を余儀なくされもしたが、肝臓にあったがんの半分を取り、肝臓が再生したところで残りのがんも全て取り切った。人工肛門を閉じる手術も終わり、11月には奇跡的に寛解にまで持って行く事が出来たのだった。



自分の病気についてとことん調べ、積極的な治療に臨んだM美。主治医も奇跡だよと驚いていたらしい。



そんな喜びも束の間、今度は食道がんで闘病中だったYが逝った。なるようにしかならないからと、積極的な治療をしてこなかったYを松剣は責めた。しかし抗がん剤治療の苦しみが身に浸みているM美は、これ以上頑張れとは言えなかったと語った。




Yは逝ってしまったけれどM美はきっと良くなる。再発してもそれはまだ随分先の事で、その時はまた手術をして取ってしまえば良いんだ。パパも松剣も相方も、そしてM美自身もそう思っていたのだが・・・

2016年10月3日月曜日

長雨続きで

とっても気になっていた庭・・・こりゃ酷いよな〜と見るたびに思ってはいたが、よっしゃ〜綺麗にするよ!と思うと雨。





しかも明日やろう!と思った日に限って降るんだから・・・と言うのは言い訳で、いい加減どうにかしなさいよと相方に言われ、ようやく重い腰を上げたのだった。





いつものホームセンターで又もや懲りずに苗を買います。

















でもこんな高いのは買わない。





 


一株98円や78円と言った安いのばかり20株。
 






さてと、頑張って綺麗にするよ!









それにしても草・・・ボウボウだよおっかさん。




植えたわけじゃない得体の知れない植物もわんさか生えている。


























どうりで。最近やたらとバッタが多いと思ったんだよね〜。しかもやけにデカイやつおって20㎝近くあるから。




夕方からパチンコ行きたいし、ちゃっちゃと目立つ草だけ抜いて終わろっ。でも・・・アレっ?おかしいな。抜いても抜いても何か綺麗にならんぞ。




・・・!!そう言うことかっ!!




目立つ草抜く➡︎ 今まで目立たなかった草目立つ➡︎そいつを抜く➡︎もっと目立たなかった草目立つ➡︎そいつも抜く➡︎もっとちっこいヤツ目立つ➡︎無限ループじゃ!





キリないし、こんなもんでそろそろヨシとしよう。




 



 


最後の仕上げ、花壇をきれいにして終わりだ。






 
まぁまぁこんなもんでしょ。

 
 
 
 

今回購入した苗の中に一株だけ奮発したのが鶏頭の花。昔は大嫌いな花だった。正に鶏のトサカの様で気味悪いし、枯れると黒い小さな種がボロボロ落ちるわ・・・でも最近は品種改良したのか、何だか可愛らしくなったよね。



 
 

今回は超強いパンジーやビオラが中心。来年の春頃までは咲いているんじゃないの?



おっと、いけない。もう枯らしません。ちゃんと手入れします。
 
 
 

でも結構やりたい事も沢山あったりで、忙しいんだよね。猫の手も借りたいよ。








いつでも貸してあげるニャン!